【縄文遺跡巡り@青森】遮光器土偶とアラハバキ神
こんばんは、ヒーラーの熊木幸奈です。(上記写真は木造駅にて)
青森県へ縄文遺跡巡りと神社巡りのために行ってまいりました。
縄文文明を感じ取る事とその土地の神様に会いたかったからです。
(下記写真4枚は三内丸山遺跡にて)
縄文時代は1万年以上とか、1万7千年ほど続いたと言われています。
その間、戦争の武器が一切出土してないことから、古代の日本人は平和で助け合って暮らしていたようです。
これだけでもトンデモなく凄いことだなと感じます。
だって縄文時代の頃、世界では既に戦争ばかりの奪い合いの世界観(歴史)だから。
一方で日本は10,000年以上もの間、平和に暮らしていたということは、それだけ日本人のDNAに平和や調和のDNAが深く刻み込まれていると改めて実感します。
ちなみに弥生時代に入り、水田稲作が発達し出すと一気に支配される側と支配する側との分離階級が生まれ、米(富)を貯蔵が出来たことから、その富(現代で言うとお金や豊かな土地、資源)を所有しようと奪い合いの戦争(利権争い)が起こり、今に至るって感じ。
弥生時代から現代までのおよそ2300年間に徐々に不調和になってきたので、
縄文時代の1万年以上もの期間、自然と調和して暮らしていた時代の方が断然長いということなんですよね^^ほんとスゴいことだなと^^
その縄文時代は、自然を慈しみ、自然の恵みを受けて、それを不自然に大きくコントロールしようとはせず、集落の皆が食べる分だけを自然から頂いて感謝しながら生きていた時代。
もちろん、小規模の栽培や食べ物を干したり発酵して保存はしていたとしても、その程度の貯蔵だった様子。
(上記写真はつがる市縄文住居展示資料館カルコにて)
三内丸山遺跡の大型掘立柱建物跡から復元した建物や様々な展示物を見ていても、高度な縄文文明を築いていたと言っても言い過ぎではない程で、海を渡っての近隣国(村)との交易も盛んで、シェアしながら暮らしていたように感じました。
きっと、今の時代の支配欲とは真逆の協力体制やシェアしていくのが当たり前な精神が根底にあったのかもしれません。
また、縄文人はおしゃれだったり遊び心もあったようで、石を加工したアクセサリーや装飾性の高い土器、その文様の芸術性、土偶に至っては現代の技術をもってしてもかなり難しいという話もある遮光器土偶なども出土していました。
そのため、縄文時代は高度な縄文文明を築きつつ、それを支える豊かで調和的な精神性があったことを感じます。
どれだけ手間ひまをかけて作ったんだろう、、、と思えるような不思議な文様の土器。
赤が貴重だったのか好きなのか、漆の模様のコントラストが素敵な漆器。
当時のおしゃれ??な髪型の人物。
(上記2枚の写真は、つがる市縄文住居展示資料館カルコにて)
そしてその数の多さ。
一日中、職人のように美しい土器作りのために時間を費やしていた方もいたんでしょうか、、、
(上記2枚は三内丸山遺跡にて)
また、亀ヶ岡石器時代遺跡にも行きましたが、お墓やゴミ捨て場的な貝塚という位置付けの場所は、これは今の感覚と違って、使命を終えた道具や命を神に送り返す場所という雰囲気がしました。
そして、やはり気になるのは、そこから発掘された遮光器土偶。
魔除けや豊穣祈願の祭祀に使った女性や妊婦さんの像と言う説が一般的だそうですが、
私には宇宙人にしか見えませんね^^
自然信仰なので、妖精や精霊を神格化したのかもしれませんが、本当のところはどうなんでしょう。。。
(上記写真1枚と下記写真2枚は木造亀ヶ岡考古資料室 縄文館にて)
(上記1枚はつがる市縄文住居展示資料館カルコにて)
さて長くなったので、次回、アラハバキ神のことを書こうと思います。
一説では、縄文時代から崇拝されていた日本最古の神様とも言われているようです。
また通称しゃこちゃんという遮光器土偶という説も!
(下記写真は日本最古級の土器が出土した大平山元遺跡(紀元前13,000年頃)にて)
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