神さまが味方する生き方
こんばんは、ヒーラーの熊木幸奈です。
最近、より神社参拝に行く機会が増え、感じることが増えました。
元々の日本人は、唯一絶対神の一柱ではなく、
八百万の神々というアニミズム(自然界のそれぞれのものに固有の霊魂が宿る)の感覚を持っていました。
道ばたの石ころにも神様が宿っているし、
流れる川・滝にも、通り抜ける風にも、
神様が宿っていることを普通に知っていました。
なので、自然=神様であるというのは当たり前に知っている感覚でした。
しかし、現代の人は、
神様の存在もそこまで信じなくなったり、
自然そのものが神様だというのも忘れてしまいました。
そして、
神様の名前だけを自然から切り離して、
その概念だけを崇拝していたりします。
つまり、
山の神様の名前と山そのものとは切り離して、
神様の名前だけを崇拝しているのに、
平気で山は切り崩す。
という、、、
さらには、最近、個人的にも実体験として感じたことがありました。
この自然豊かな土地を体験し、この地を発展させよう。
という志をもって事業を立ち上げている会社がありました。
ですが、呼び込むのは都会などからのパリピ的な人々でした。
大事に使えず、自然を荒らして帰っていく人々でした。
元々この地域・土地を護ってきた神様の存在は勿論、知るはずもなく、
私はその土地の鎮守神社の神様に毎週訪問する度に、なんとも申し訳ない気分にもなりました。
そんな荒らして乱した波動を置いていく人々は、この土地に来て欲しくないという気分にまでもなりました。
ただこれは現代で、どこにでも起きている仕方のないことです。
私だって知らずに自然を荒らしているわけなので、責めるでもなく悲しみや残念感を感じて、、、
自然と繋がる感覚や神様と繋がる感覚が少しでも思い出してくると、
今まで感じていなかった違和感にも気づくようになります。
それが本来の日本人の和合の感覚だよなぁ〜と思いつつ、
それぞれの土地にはそこを昔から護っている神様がいて、
その自然を大切に尊重して、敬意をはらってきた感覚。
これは昔の人は当たり前にもっていた感覚で、
神様と自然、そして人間は別々の分離した感覚ではなかった。
なので、それらが和合・統合している感覚を思い出して行動できる人は、
神様にも護られ、味方されるだろうし、
これからの転換した時代には追い風となっていると感じました。
私自身も少しでも改められるところを改善し、自然に敬意をはらって暮らしたいと思います。
ではまた。
熊木幸奈
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