神仏習合の和心
こんばんは、ヒーラーの熊木幸奈です。
日本は神話から読み解くと神代の時代に始まり、アマテラスなどの神様の子孫である神武天皇から人間となる話に繋がります。
神話は歴史の要素が暗号的に刻まれており、頭で理解するには難しいのですが、潜在的には読み取れるところもあるように感じています。
神代の時代は縄文時代にあたる。
自然という神様を認識し、自然と共に生きていた時代。
その後、弥生時代へと入ると自然から分離した人間時代に入ってしまう。
自然が神であるという八百万の神々の自然信仰がベースにある日本は、
他国の侵略から自国を守るために、武力的にも強くなる必要が出てきたんだろうかと。。。
そして6世紀半ば。国を侵略から守るため、国を統一していくには大陸から入ってくる文化を柔軟に吸収していく必要がありました。平民に仏法僧を与えて国の力を高めることは、国を守ることに繋がると感じていた統治者の思惑もありながら、仏教を受け入れる形になった。
そして聖徳太子が日本仏教を見事に融合させたようです。
元々日本国は神の国から始まる神道がベース。
そこにアイデンティティがあるため、仏教反対の物部氏もいたけれど、時代的には仕方なかったんだろう。。。
けど、神道は「宗教」という考えが出ない程、当たり前で習慣的で身近に神々が至る所に宿るのを感じていた。
そのため、仏教の観音様や菩薩様、仏像などの沢山の神様は、その日常的にある八百万の神様のお一人として捉えて自然に受け入れる形となったよう。
なので、仏教も受け入れられ、神仏習合が自然な形で融合し、天皇の血筋を汲む皇族からも僧侶となった者もいて、江戸時代までは天皇のお葬式も実は仏式だったよう。
その後、明治維新で行った神仏分離令で廃仏毀釈などを無理な形で行ったのは、悲惨なことで、、、
それでも、まぁ、
とにかく世界的には特殊で、宗教戦争が起こってないのだから。
世界を見渡すと、自分の信じる神が違うからと言って他を排除し攻撃する宗教戦争が一般的。
日本は元々一神教ではないため、排他的な考えとは相反し何とかして擦り合わせをして、国の姿に合うように融合させながら和(輪)におさまる形をみつけていく感覚がベースにあった。
この和合の精神がベースにあるのが日本人なのだろうと感じます。
けれど、現代は明治維新の際にもたらされてしまった海外の思想の影響で、その本来の自分たちが真に持っていた(大事にしている)ものを忘れてしまい、
一神教の思想などに影響を受けて、自分たちのアイデンティティが無くなったりブレてしまった。
ある意味、色々と受け入れ過ぎて迷走し、情報過多なのだろう、、、
さらには戦後の強烈な自虐史観の洗脳を受けてしまい骨抜きにされてしまって。。。
個人的にはせっかく流行り病が流行したタイミングだし、しばらく鎖国的な形でいいと思ってしまう。輸入に頼り過ぎるのではなく自国の立て直しを図り、自分達の元々有るもの、今持っているものを大事にする、これまでの価値観を見直し、自国で解決できるようにしたらいいのに、と思ってしまう。。。
(上記7枚の写真は甲斐国の物部神社より)
自国の良さを認識出来ないでいることは、とても不幸なこと。
自国の良さを認めていないのは、悲し過ぎること。
自分を認めていないのは、自分を生きていないこと。
自分の存在を認めていないのは、居ていいと自分に許可できていないこと。
自国の素晴らしさ、尊さを認識していないことは虚しいこと。
自国らしさを認識し直し、それをしっかり味わうこと。
自国の存在価値を認識していないのでは、力を発揮できない。
自分が自分であることの喜びを味わっていないのは幸せになれない。
先人たちが残してくれた・伝えてくれた事を見直すように、
と言われた気がしました。
他に類をみない国土の豊かさに恵まれて、先人たちが培った豊かで和合的なDNAが備わっている日本人。
どうか和心に目覚めて欲しいとご先祖さま・先人たち、サポートしている見えない霊的存在たちが伝えてきている。
頭の科学の方が勝ってしまうと心の精神・霊性の進化が追いついていなければ、星自体が自滅するのは定説だと。
精神・霊性の方が頭(脳)を従わせることでしか自滅の道から逃れることは出来ない。
その瀬戸際の混乱下であったとしても、諦めずに投げ出さずに、希望を胸に、
今、自分自身ができる小さなことから取り掛かろう。
と言われている感覚をもちました。
ではまた。
熊木幸奈
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