縄文の神??龍神??アラハバキ神と古代出雲【青森神社巡り】

おはようございます、ヒーラーの熊木幸奈です。


前回の続きになります。

【縄文遺跡巡り@青森】遮光器土偶とアラハバキ神


私はここ最近、アラハバキという神様がとても気になっていました。 


その神様は正体不明とされているのですが、 古代の神様という説があります。 


なので縄文時代から崇拝されていた日本最古の神様なのでは、という説もあるよう。 

 もちろん、古事記や日本書紀にも一切出てこない神様であり、 

 研究者や地域によって解釈が色々とあって、実際のところは分からないわけです。


全国の神社にひっそりと祀られていたりするようですが、割と東北や関東の神社に祀られているようです。

漢字伝来以前から存在しているため、漢字は当て字となり様々な漢字が当てられています。

例えば、荒脛巾、荒吐、荒覇吐、阿良波々岐、荒波々幾、、、


とにかく色々な説があります。

客人神(まろうどかみ)という説。

客人神って、他のところから来訪した神様って意味で、古代からいた神様を逆にお客さん扱いし、 後から来た日本神話の神様に地位を奪われてしまったような感じがします。。。 

埼玉県の氷川神社は、摂社に客人神として荒脛巾(アラハバキ)として祀られているそうですが、元々は荒脛巾神社としてお祀りしていたという話も。 

なので、主祭神として祀られていない場合が多いようです。そちらは素戔嗚や大己貴命など。


更に、塞の神(サエノカミ・サイノカミ)という説は、本来は村境や峠にあってお地蔵さんのように置かれており、その地域を悪霊の侵入をふせぐ魔除けのような神様です。道祖神と言われたり。


宮城県多賀城市の荒脛巾神社は足の脛(スネ)につける布を脛巾(ハバキ)というので、足の神様として祀っているそうで、靴がお供えされているようです。 

ちなみにそこでは、蝦夷を制圧するために建てられた多賀城跡にアラハバキが祀られおり、多賀城を守るために魔除け的な塞の神として祀られているようですが、

元々、蝦夷が信仰していたアラハバキ神なのに、大和朝廷側が逆に祀ってるの??という不可思議な状態になっている。敵の神様を自分のところで祀ってんの??

「蝦夷は蝦夷をもって制す」という塞の神としての間違った使い方?!をされて、封じ込められたように感じてしまいます、、、


あとは、脛(スネ)の字があるから長髄彦(ナガスネヒコ)とも言われてるそう。 

ちなみに長髄彦とは、神武天皇よりも前に大和などを統治していた元々いた先住民の豪族ですが、結局、敗北して殺されたとされています。 

ですが他の伝承では東北へ逃げたという説もあって、なので東北にアラハバキ神社が多いのは、その長髄彦を神格化したという説もあるそうです。 

ちなみにジブリ映画「もののけ姫」の主人公アシタカは、脚高?→長髄彦がモデルになっている様子。



あとは、蛇神説

ハハ・ハバが蛇の古語だそうで、なので、アラハバキと。

縄文土器を見ても、なんとなく藁紐の文様が蛇模様のような雰囲気にも見えたりとか。

ちなみに出雲系の大国主の別名が大己貴(オオナムチ)命。

なので、オオナムチ、オロチ、大蛇、蛇神を連想してしまいます。

実際に、出雲大社や諏訪大社、大国主が祀られている大神神社は、全て龍や蛇にまつわる龍蛇神信仰だとも言われています。

摂社に客人神を祀っている氷川神社の中には、以前、禁足地に蛇の池があったそうで、

御祭神の中に 大国主と書かず、大己貴命(オオナムチ)としての名前があります。

やはり何か龍蛇神との関連性を感じてしまいます。



また、アイヌの酋長によると、アイヌの古語でクナトは男根、アラハバキは女陰の意味もあるとのことです。

出雲口伝の富家伝承によれば、出雲族が元々崇拝していた神は大国主ではなく、男神クナト大神が祖神だと伝え、更にもう一つの隠されし女神がいて、それが女神アラハバキだと最終的には伝えたそうです。

その神々を朝廷側に抹殺されそうになった際に、クナト大神は地蔵へ。アラハバキ神は弁財天へと姿を変えたとされています。

この口伝が本当だとすると、かなり衝撃的な内容ですが、個人的にはそんな気も、、、

更にその伝承では、元々の古代出雲族は龍蛇の一族だと言っており、古代から自然信仰していたのは龍蛇神なのかと感じます。


更に隠されし女神と言えば、これまで散々ブログにも登場していた瀬織津姫を連想してしまいます。

関連ブログ *謎多き女神『瀬織津姫』*

瀬織津姫も弁財天に姿を変えたり、同一視されたりしていました。しかも龍神だと。


東北は出雲系の神様と関連性が深く、おそらく元々、古代出雲族が東北も治めていたため、出雲系は龍や蛇にまつわる龍蛇神信仰が多く、今の大国主命(大己貴命)や素戔嗚尊などの出雲族と融合したのかもしれません。



 更には、偽書とされている古文書『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』の挿絵の中に、なんと、遮光器土偶がアラハバキ神として描かれているようです。 

その中では、東北に逃げ帰った長髄彦族はアラハバキ族と名乗って、大和朝廷からは蝦夷と呼ばれるようになったと。

ですがその書物は偽書確定らしく、ただ全てが偽りだとはちょっと考えにくい濃く膨大な量の内容でもあるため、真偽が入り混じっているのかもしれません。


ということで、アラハバキに関して、様々な説があり過ぎるけれど、結局のところはどうなのでしょうか。

やはり時の権力者の意向が入るので、本来から少しずつ、もしくはだいぶズレてるんだろうとは感じています。。。

私個人的にはアラハバキ神は古代縄文時代の土着信仰の最高神という感覚があり、

自然崇拝における岩や山、川、滝、水、巫女を依代として降臨していた霊体(神様・龍神)が、自然信仰の龍神としてわかりやすい形で表現されたようにも感じたりします。

そして、自然信仰の大元の日、月、星(大地)を動かす神様という壮大な位置付けという話も聞き、そんな気もしているのです。



さて今回、私が実際に足を運んだ青森北部の十三湊周辺にひっそりと小さく佇む神明宮がありました。

どうやらアラハバキ神社とも言われるようでしたが、扁額などもなく、外からはどこにも書かれておらず分かりませんでした。

 ただ、あまり大きくない岩が2石、鎮座していたので磐座信仰なのだと感じます。

また藁で2柱の龍神を作って木に括り付けてお祀りしてありましたので、アラハバキ??龍なの??と思ったり。。。




また更に北部にある洗磯崎(アライソザキ)神社へも気になり参拝に伺いました。

アラハバキが変化してアライソザキとなったように感じ、御由緒を見ると荒吐神を祖神として祀っていたと書かれていました。

ちなみに今の御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)です。

龍にしか見えない松の木が境内に鎮座していました。



更に北上し津軽突端の龍飛岬(タッピミサキ)へ。

最近の大雨による崖崩れによって、その日は突端には行けず、翌日大回りして行くことが出来ました。

本当に突端部分は帯島となっており、竜飛弁財天が祀られていました。

こちらの弁財天様ももしかしたら、アラハバキ神だったのかもしれません。

今回の縄文遺跡や神社を巡っていく中で、

島根=出雲が一般的ですが、

実は、津軽=古代出雲という感覚がじわじわ来ました。

縄文時代の東北が調和的で相当栄えていたという時代があり、それを弥生時代以降、今に至るまで封印されてしまった部分が多かったことを感じる旅でもありました。

少しずつ縄文時代の頃のような自然と調和する感覚を取り戻す必要があるように感じました。


ちなみに話しは逸れますが、そんな旅の途中で泊まった温泉宿でのTVニュースをたまたま観ました。それは高校野球の決勝戦で、東北勢悲願の初優勝の場面でした。

仙台育英の監督が「全ての東北の人に栄冠が輝いた」と話しており、何かずっと封印されていた東北の扉・戸が開かれたような気がして、何かメタファーのように感じたのでした。

(ちなみに青森を周っていると、八戸など「戸」がつく地名が多いのが気になりました)


今回、青森の縄文遺跡は3ヶ所を巡り(資料館を入れると合計5ヶ所)、神社は12ヶ所を巡っていました。

龗神社以外は天候などの都合上、大幅な予定変更の末、Googleマップを見て気になったり、遺跡を巡っている最中にたまたま見つけた神社ばかりでした。

きっと何か呼ばれていたんだと思います^^


以下が今回の旅で参拝させていただいた12カ所の神社。

・法霊山 龗神社

・蕪嶋神社

・神明宮(トヨの水)

・岩木山神社

・高照神社

・神明宮 アラハバキ神社

・山王坊日吉神社

・荒磯崎神社

・軻遇突智神社

・竜飛 弁財天宮

・八幡宮

・十和田神社


これらの神社もできれば紹介していこうかと思います。

ではまた。

熊木幸奈


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